広告とか人間とかのネタ帳

電車の中でも誰かを出抜くときでも!PC・スマートフォンで絵と動画と文字で見て読むコラム

vol.69 広大な土地で、自由に生きてる動物見てるとほっこりする。

犬が可愛くて泣いた

 動物愛護施設のCM。CMって宣伝とか告知とかってイメージしかもたれない数分動画なわけだけど、こうした感動秘話を送り届けて、うるっとさせてくれるようなCMもある。

1:01秒
Budweiser Super Bowl XLVIII Commercial -- "Puppy Love"

これを見て思い出したのはベイブ。

この物語では、子豚がなんと言葉を喋って旅をし始めるんだけど、これがなんともキュート!!
普通、豚なんて悪口で使うか、焼き肉に使うかって二択くらいなのに、
映画の主人公をして、動物界の王様みたいな扱いを受けちゃうわけです。



最近は、動物の話で良い話を聞かないなーって。
動物だって生きてるのに、あいつらにも動物世界があって、世間とかあるはずなのに
人間が自然界から引っ張って来て、自分たちの癒しのためにペットとして飼っちゃうなんて
心優しい私としては考えられないわけです。

これを何主義っていうのかは知らないけど
強いて言うなら動物放飼主義者なわけです。
動物にも自由を与えてあげたい。

この地球は人間だけのものでもない
人間が支配するところでもない
動物と共生して、人間は保全管理を行うだけでいい!

そう思わせてくれるCM。(たぶん)

vol.68 「ロジカル」を帰納的考察で定義付ける。

ロジカルということ。

 先日、友人に「自分ってロジカルだと思う?」って聞かれた。私はそれに対する言葉が思い付かなかった。それはロジカルってどういうことなのかわからなかったから。ロジカル、ロジカルって巷では凄い言われてるし、そういった本もあるけれど、なんかロジカルって言葉だけで一人歩きしている感覚をしなくもない。本当の意味でのロジカルってどういうことなのかな。


Apple - Mac 30 - Thirty years of innovation 2:53
http://www.apple.com/30-years/

そこで、私の(数少ない)友人の中で、「ロジカルな人」ってどういう人かなって考えてみた。
一人だけ、ロジカルなのかもしれない人が頭に思い浮かんだので、その人の特徴から帰納的推察からロジカルを定義してみたい。


洗練されている。

 行動を取ってみても無駄が無い。確かに、遠回りしている中にも大切なものはある。
けど、自己達成をするために最低限度必要な行動という意味で、ロジカルな人は洗練されてると思う。

目的がある。

 自身が達成すべき具体的な像、ゴールが見えている。そして、最終地点が見えているからそれを成すための道筋もしっかり見えている。だからこそ、無駄なことをしなくてもいい。

本質が見えている。

 物事の本質が見えている。たとえ、複雑な物事であってもしっかり分解し、施術すべきポイントがわかっている。


ロジカルな人は洗練されている。

 こうして彼を分解し、帰納的考察でみてきたようにロジカルな人を定義付けるとすると
私が思うロジカルな人のキーワードとなるものは「洗練」である。
無駄を削ぎ、必要なものに重点を置き、重要なものを残す。

優れた断捨離を行い、自分から無駄なものを削いでいく。
今、私に出来ることはコツコツと洗練していくこと。


APPLE MacBook Pro with Retina Display 13.3/2.5GHz Dual Core i5 MD212J/A

APPLE MacBook Pro with Retina Display 13.3/2.5GHz Dual Core i5 MD212J/A

vol.67 人生の中に旅行があるのではなく、旅行が人生を築くのか。

旅には、ホテルが必要で不可欠。


Booking.com 2014 TV commercial: "Booking Epic"
1:00分

 旅行は、人生を豊かにしてくれますよね。それは、小さな自分の世界から大きな視点の遷移。見たことのない世界を見て、今まで触れてこなかったものに触れ、自分の中でしか生きることのなかった観念をある意味で歪める所業。

 これを見ると、私も思い出すことがあります。
それは、友人と東アジアに旅したことです。私にとって、
海外旅行は高校生のホームステイ以来で(当時の記憶はあやふやで何をしたのかどこに泊まって誰にお世話になったのか全然覚えていないのですが)
なぜ旅をするのかというものを友人と語り合いながら旅路を行っていたと思います。

その際に利用したアプリケーションは、『agoda』というもので、
今回のBookingではないのですが、そのとき私はものすごい衝撃を受けたことを覚えています。
なんてったって、私が持つスマートフォン一つで、それもアプリケーションをクリックしただけで
異国の場所ですら激安・おすすめのホテルを検索して宿泊することが出来るのですから。

昔、ここまで電子機器が発達していなかった当時には英語が喋れる人が、異国に詳しい人が、
現地の人たちに訪ね歩いて宿泊外を探し、交渉し、ようやく寝場所を手に入れるって流れから、
こんな私ですら難なく過ごすことが出来たことは、自身を通じて世の中に衝撃を受けた出来事です。

アプリ一つで世界を見れる。

 当時を比べると、現代は簡略化されすぎている時代です。
それこそ、人が出来ることを機械に奪われて、それがアプリなんてものになって世に渡り、
高い利便性を有したものとして市場に出回る。
いろいろなものを知れる、知りすぎてわからない・知らないことがある期間が短縮されている。

知らないことを知ろうとする好奇心が人をモチベートして、行動して、
その中で他のいろんなことを知って付け加えていく、それに意義があったはずなのに、
簡略化されて、省略されてしまっている。
そんな世の中で、私も迎合し生きているわけですが、
危機感がないとは言い切れず、むしろ寒気立っている次第。

もっとわくわくする世界になる、はず。

 とかなんとかいいつつも、こうした変化のある時代に生きていることは喜びです。
先人の方々が知らずに終わってしまったことを、もっと知れることが出来る、体験することが出来る。
それは贅沢でもあり、欲張りと言われるかもしれないけれど、
そういう機会が一部の富裕層階級だけでなく平凡階級の私でも体験することが出来る。
それは大チャンスです。

今の時代を不平不満で生きるよりもこうしたチャンスを活かして
大局的見地で生きることも大事なんだろうなと思います。

vol.64 就職活動を風刺した動画が話題。

一人ひとりの生きたい生き方を認めてあげることも必要。


7分28秒

 約1年前、私も就活生だったことを思い出す。あの頃はやる気も漲り、自分だけ特別で、無限の可能性を得ていると感じていた。自分は、様々な経験をしてきた、他の学生なんかよりかは面白い人間で、価値のある人間、利用価値のある人間だと自負していた。もちろん、こうした高い志を就職活動で呈するわけだけど、向こう側の人たちには全く伝わらない。それは当然のことで、自分で強く思ってるだけの根拠のない自信は脆く、後々簡単に崩れさっていくものだとわかっているから。

 この就職活動を風刺した動画は凄く魅力的だ。
就職活動をネタにされた小説、朝井リョウの「何者」も面白かったけど、
日本の就職活動の実態を熟知しているんじゃないかなと思う。
こういうもので、人の心をぐさっとしちゃうのって素晴らしいと思うんだよね。
一見、読み物だったり、見るもので終わってしまっちゃうけど、
実際にこういうのを作る側の視点で見てみると、
凄く難しいし、考えられているのがわかる..。

 でもさ、よく言われてることだけど、今は企業に頼らない生き方で
(むしろ)自分の力で生きていくみたいなトレンドになってる気がする。
この動画を作った人にしても、
動画の中では就職活動を失敗したみたいな終わり方にしてるけど、
実際これだけのものを作れる器量とかセンスがあるのは私は羨ましい。
なんだろう、確かに優良企業に入ることが正しいのかもしれないけど、
こういったものを人生かけて作る生き方を認めてあげることも必要なんじゃないかな。

vol.63 2013年は終了し、2014年へ。差別も区別も国境の隔たりもなくなるように。

ぐるぐる回る。逆回転は出来ない。

 大晦日ですね。365回目のお昼です。どうもこんばんは。大晦日、私は基本、年末であろうと年明けであろうと一日は一日として解釈し、365日分の1みたいな扱いをしてあげないといけないよねって言い散らしているんだけど、世事の大イベントなので世迷い事として処理されてしまっていますね。ふん!

2013 - "Great People" EN




 2013年の偉大な人々。なんでしょう、この平等感。世界中の偉大な人達を集約して、なんの偏見も入れず、フラットに扱う。動画だけに留まらず、世界的にもお互いをフラットに扱えるようになれれば、もっと世界は平和で豊かになるのかな。よくわからないけど。

もっと世界を知ろうよ。

 自分ってまだまだ狭い人間だなって多々感じる。
物事を狭くしか見れないし、浅くしか考えられないし、
深くみることを止めてしまっているなって。
世界はこんなにも広いのに、自分だけの世界観の中だけに留まって、
それがさも正しいかのように他者を排他して、自分を特別に扱ってしまう。
最終的に、自分が一番可愛い理論で言えば仕方のないことなのかもしれないけれど、
だからといって閉じこもってしまうのは決して認められないんじゃないかな、
少なくともそんな自分が嫌いである。

 だから、来年はというか新年はというか年明けからは、
もっともっと広い世界をみていきたい、いろんな場所に出向いて行きたい、
自分の殻に閉じ篭もるのはやめよう。
けど、ブログ、文章を書くことを続けていきたい。
稚拙であっても、こういう場所があることは大切だから。