広告とか人間とかのネタ帳

電車の中でも誰かを出抜くときでも!PC・スマートフォンで絵と動画と文字で見て読むコラム

vol.49 《図解化》ソーシャル疲れの中の人が期待してること

ソーシャルは疲労積立式

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ソーシャル疲れの理論
読みました。

 ソーシャルって現実の世界と違って良好な人間関係って築き難いって思います。インターネット上で簡単に他の人と交流出来るのはいいんですけど、簡単すぎるのも何かちょっと違うなーって思ってしまいます。最近の私のソーシャル事情を申し上げると、Twitterはまだ現役で呟き中ですけど、Facebookに関しては絶賛ロム専です(死語)。あいつどうしたの?ソーシャルから消えたの?なんて思われてるんじゃないかと思います(願望)。

 そんな中、上の記事を見つけました。やっぱりソーシャル疲れって私だけじゃなかったんだな、なんて今更ですけど実感しました。笑

ソーシャル疲れの理論を図解化

 上記リンク先にある「ソーシャル疲れの理論」を図解化するとこんな感じになるんじゃないかな、と例のごとく粗末ですけど描いてみました。



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 人間って面白いですよね。自分自身のアイデンティティってその人が属する環境やコミュニティによって区別されて、それぞれのコミュニティによって多種多様な自分が形成されているんだよ。良い意味では、属する環境によって新しい自分を発見することが出来る面もあれば、悪い意味では、人様を騙し続ける嘘つきの仮面野郎とかになっちゃってるんだよね。

 そして、ただ自分を偽るだけでなく相手のことも値踏み(competence)して相手色に染まる努力を怠らない。そういう意味では、凄い努力家なんだろうな人間って。だけどやっぱり思うのは、じゃあ本当の自分ってどこにいるのよってことで、人って(ほぼ)必ずどこかのコミュニティに属しているわけで、その都度対応・態度を変えているってことになると、変化のない自分の居場所がどこにもないってことになっちゃうんじゃないのかな...?確かにこれは極論というか、迷言ちっくな迷い事みたいな感じだけど、よくわからないのが正直なところかな...。

 だけどだからって諦めるとか隠居になるとか、そんなんじゃないわけで、これってソーシャルだから起こるとかよりも現実の世界でも往々にして疲れるよねって感じだし、ソーシャルも使い様によっては気楽になれる住処になるんじゃないかと私は日々期待していますよ。今のところ絶望的に疲労困憊お手上げ状態ですけどね。


ソーシャルに期待すること

 ソーシャルって容易にというか希薄な人間関係を築いてしまう、なんてことを多々聞きますが、まぁ確かに私も使っていてそう強く実感しますよ。けどソーシャルにもソーシャルなりのメリットと言うか強みがあって、それを活かさないなんてことは勿体無いんじゃないかと思うわけです。

 




 ソーシャルって、TwitterFacebook他諸々、インターネット上で様々な人との交流可能って言うのが強みで隆盛してきたんじゃないですか。それならそこをもっとプッシュして欲しなって思うわけです。

 例えば、(ちょっと前の私のツイートなんですけど)呟かれているような、自分の出力したもの(発言や意見)をしっかり評価してくれるようにしてくれたらもっと積極的に利用したくなるなーとか、簡単にいいね!とか言わないでくれる?みたいなある種の批判も受け入れてグレードアップさせるとか、それ最悪だよ!みたいなネガティブボタンも設置したりとか、もっともっと密な交流の機会を作っていった方がいいんじゃないかなって思うわけです。そうすれば、希薄なコミュニケーションで築かれたその場その場で区別してしまう自分の中の本当の自分自身みたいなものと出会えるんじゃないかなって個人的に期待しているところです。




ちなみに、Facebookの使い方として

みたいな感じで、Facebookにあがってくる写真をみて、ひきこもりでインドアで陽光の当たらない室内の景色しか見れていない私を外の輝かしい景色をみることによって自分のアクティブな新しい一面を発見していくことが出来るのもソーシャルの魅力なんじゃないかと思う時もあります。




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